ネットで検索するときに気をつけたいこと

大インターネット時代

 今やパソコンもスマホも持っていない世帯は希少性も高くなり、「誰でも」インターネットに接続できると言っていい時代です。貧困にあえぐ中でも携帯料金だけは欠かさず払うということも珍しくありません。

 「誰でも」インターネットに接続できると書きましたが、「誰でも」接続できるということはすなわち、様々な性格を持った人々がインターネットを利用しているということです。そこで私が気になるのは、インターネットの利用における普通です。

 デジタル庁なるものが出来るという話もありますが、私は日本のメディアリテラシーについてかなり悲観的です。しょうがないことではありますし、批判するつもりも毛頭ありませんが、トイレットペーパーやイソジンが売り切れているのを見ると、もうちょっと立ち止まって考えて欲しいと思ってしまいます。上の例はテレビによるところが大きいでしょうが、インターネットでも話は同じで、特にSNSでは誤った情報が拡散されることなんて日常茶飯事です。

 

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 この大インターネット時代において、日常生活を送る中でわからないことがあれば(そして周りに気軽に尋ねられる人が居なければ)誰でも検索すると思います。しますよね?今回はわからないことがあっても全く調べようとしない人たちについては触れないことにします。

 「○○」で検索すると、それについて解説してくれるサイトがずらりと出てきますが、皆さんはどのサイトを開くか、またはどのサイトの情報を信じるのかについて何か基準を持っていますか?

 普通は一番上に出てきた「○○とは?」系のページをパッと開いて、「まとめ」までスクロールして、流し読みして終了といったところでしょうか。あるいは世界の真実はウィキペディアに書いてあると信じる敬虔なウィキペディアンも多いでしょうか。この大インターネット時代では検索の普通も考え直さなければならないのではないでしょうか。

 何の権威付けもなく、プロフィールも明かしていない個人サイトの情報と、研究機関公式サイトの解説ページの情報であればどちらを信じればいいのか話は簡単です。しかし調べる言葉によっては研究機関のような、ある程度後ろ盾のある情報サイトが全く出てこないこともあります。そのような場合どうすれば良いのでしょうか。

 私がおすすめするのは、調べたい内容に関して、とりあえず五個のサイトの情報を確認することです。これは検索結果上位五つでも気になったページ五つでもかまいませんが、例えば調べたいこと「○○」に肯定意見と否定意見が存在するような場合には、どちらかに偏らないように選んでみてください。

 確証バイアスという、自分に都合の良い情報ばかり選び取ってしまうという、人の習性を表す言葉がありますが、この習性はなかなか克服することが出来ません。ただ、克服することが出来ればその人の言葉には説得力が生まれます。何かの良さを説明するときにその悪さを知っていれば、あるいは何かが悪いことを説明するときにそのものの良さを知っていれば、一段と説得力のある説明が出来るでしょう。

 「いかがでしたか」形式のゴミカスキュレーションサイトを除けば、「○○」について説明する際には必ず視点の違いがあるはずです。ある一つの物事「○○」を理解するためにはその「○○」を多面的に捉えることが効果的ですが、そのためにも複数のサイトの説明を読んでみるというのは重要です。一人が言っていることをそのまま鵜呑みにすることと、複数人から話を聞いてその情報を総合することの違いをよく考えてみてください。

理想と現実

 今まで言ってきたのは理想論に過ぎません。上で違いを考えてみてくださいと言いましたが、考えてくれましたか?

 複数人の意見をインプットして、自分なりに咀嚼するのって、大変なエネルギーを消費します。調べたいことに関していちいちやっていたらすぐにMPが底をついてしまいます。対して誰かが言っていたことをそのまま自分にインプットするというのは、これほど楽に知識を得られることはありません。MP消費なしでレベルアップしまくりです。

 楽にレベルアップしたい人を止めることは出来ません。MP消費せずにレベルアップできることを覚えてしまった人にMPをちゃんと使えと言うのは酷ですらあります。ただ、リテラシーという、MPを消費しなければ成長しないステータスが存在することだけは覚えていてください。MP使うのそんなに大変ですか?MP使うだけでステ伸ばせるんだったら伸ばしときましょうよ。

 どうしても大変だというなら、せめて出典(ソース)を確認するというコマンドだけは使ってください。これだけでもMPを多少使っていることにはなります。少しずつでも良いから、一緒にリテラシーにステ振りしていきましょう。